古代オリエント世界6 古代オリエントの統一 その2

  前550年、メディアの支配下にあったイラン人のアケメネス家は、キュロス2世に率いられて反乱を起こし、メディアを滅ぼしました。アケメネス朝ペルシアの誕生です。
  キュロス2世には、変な誕生伝説が残っています。
  メディアの王・アステュアゲスは、ある日夢を見ました。娘のマンダネが放尿すると、全アジアが洪水に見舞われるという悪夢です。気味悪がった王は、娘を属国のペルシア王・カンビュセスに嫁がせることにしました。
  すると今度は、マンダネがぶどうの種を産むとその種から芽が出て、見る見るうちに成長し、ついに全アジアを覆うほどになった、という悪夢を見ます。ぞっとしたアステュアゲスは、忠臣・ハルパゴスに娘の子を殺すよう命じます。
  しかし、王の孫にあたる子供を殺すなんてできず、仕事を部下の羊飼いに擦り付けてしまいました。でもこの羊飼い、偶然にもこの直前に、自分の息子が死んでいたのです。それで、王の孫を自分が引き取り、代わりに本当の息子の死体を差し出すことにしました。
  死ななくてすんだ子供は、羊飼いの元ですくすくと成長します。でもこれも遺伝なのか、成長するにしたがって、王としての品格が現れ、ついに隠しきれなくなってしまいます。
  孫が生きていたと知ったアステュアゲスは怒りますが、子供を殺すのもどうかと思い直し、子供はカンビュセスの元に返されることになりました。この子供が、のちのキュロス2世なのです。
  しかし命令を守らなかったハルパゴスには罰を与えなければなりません。王は彼の息子を密かにさらい、殺して料理して、ハルパゴスに食べさせてしまいました。食べた後に、「今食べたのは、お前の息子だよ」と告げられたハルパゴス。心中いかばかりだったでしょう。でもそのときはぐっと堪え、王への忠誠を改めて誓ったのでした。
  その後、成長し、立派な王となったキュロス2世は、メディアに対して反乱を起こします。軍勢はそれほど多くはありませんでした。でも、これの鎮圧に当たったのが、先のハルパゴスだったのです。
  アステュアゲスから全幅の信頼を得ていたハルパゴスには、反乱鎮圧のための大軍が与えられました。彼はキュロス2世の下までいくと、メディアを裏切ります。そしてキュロス2世を新たな王として立て、メディアを滅ぼしてしまうのです。



  アケメネス朝はその後、スサを主な都として大発展をとげます。3代目ダレイオス1世の時代には、西はエーゲ海北岸のトラキアから東はインダス川にいたる大帝国を築き上げるのです。
  ダレイオス1世の行った政策は、
@ あまりに大きくなった帝国を維持するため、全国を約20の州に分け、各州にサトラップ(知事)を派遣、統治させました。いわゆる中央集権体制を確立するわけです。

A 「王の目」「王の耳」とよばれる監察官(隠密か?)に、サトラップを見張らせ、不穏な動きをしていないか監視。

B 全長2400kmにも及ぶ「王の道」の整備。始点は都のスサで、終点は小アジアのサルデス。サルデスはかつてのリディアの都です。要所に111ヵ所の駅を設置して、普通なら90日かかる行程を、早馬なら7日で飛ばせるようになりました。

C リディアの制度を受け継いで、金・銀貨を発行しました。やっぱりリディアのときと同じく、王様からの贈り物や傭兵の給料などに使われました。まだ一般人が買いもので気軽に使えるものではありません。

D もともと少数の上に、文字さえなかったペルシア人が、人口も多い文明の先進国を支配するため、彼らの風習や信仰の自由を相当認めてあげました。いわゆる寛容政策を実施したのです。
  アッシリアは強制移住に代表されるような、いわゆる武断政治を行ったゆえに、結局各地の反乱を抑えることができず、最盛期から50年ほどで滅亡してしまいました。
  アケメネス朝はその失敗を学び、有効な統治方法を考えたのです。これが大きな要因となって、200年以上も長生きする帝国になったのです。

E ダレイオス1世は、前1200年ごろに成立したゾロアスター教に帰依します。
  この世は光の神・アフラ=マズダと闇の神・アーリマンの絶え間ない闘争の中にあって、近いうちに最終戦争が始まる。もしアーリマンが勝ってしまうと、この世は闇に覆われてしまうので、光の存在である僕たち人間は、良い行いをしてアフラ=マズダを応援しなければならないのだ、という宗教です。いわゆる善悪二元論というやつです。
  ゾロアスター教で唱えられた終末思想は、そのままユダヤ教に取り入れられ、後のキリスト教にも受け継がれました。
  また日本で夏に行われる、お盆のときに火をまたぐ儀式は、もともとウルバンと呼ばれるゾロアスター教の儀式です。ウルバンがなまって盂蘭盆会(うらぼんえ)になりました。実は日本とも結構深くつながっているんです。

F ペルセポリスという名の新たな都を造営しました。大変立派な都だったといいます。ただ、今までのスサは放棄されたわけではなく、歴代の王さまはむしろスサにいることが多かったようです。
  ペルセポリスは、新年のお祭りとか、各国の施設が貢物を持ってやってくるような場所として使われていたと考えられています。
(写真はWikipediaより)


  ダレイオス1世は以上のような大きな功績を残しました。
  後に、ドイツ人のグローテフェントが、ペルセポリスに刻まれた、いわゆるペルセポリス碑文から、楔形文字の解読を行いました。しかし彼はその功績を公に発表することなく死んでしまいます。
  その後、イギリスの学者ローリンソンが、イランにあるベヒストゥン碑文から楔形文字の解読を試み、成功しました。そしてグローテフェントの研究が正しかったことを証明します。
  ベヒストゥン碑文は、ダレイオス1世の功績をたたえた磨崖碑です。
(写真はWikipediaより)

  しかし、ダレイオス1世が前5世紀前半に行ったペルシア戦争では、戦力ではぜんぜん格下のギリシアに敗北してしまいます。このペルシア戦争については、ギリシアの単元で詳しく説明します。


  前330年、マケドニアのアレクサンドロス大王が攻めてきて、アケメネス朝はあっけなく滅亡します。アレクサンドロス大王の話も、今はお預けです。

以上、オリエントの統一 アケメネス朝でした。


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コメント (2)
授業続けてくださーい!
馬鹿
来てくれてありがとう。
俺も授業続けたいよ。

とはいえ「馬鹿さん」は言うのがはばかられるな。
馬鹿さん

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