箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」

箕輪初心●高崎市の水田開発A「長野氏の開発」
マニアックな群馬県の一部の高崎地区の紹介をし始めた。
平安時代末期〜鎌倉時代にかけて、石上氏→長野氏は土豪として、青木の庄を引き
継ぎ、水田開発を進め、経済的な基盤を確立した。湧き水を利用した水田から、榛名
白川の分流を利用した早瀬川=十二堰を用水路として開発した。環濠屋敷への用水
や田んぼの用水として利用した。室町時代中期=応仁の乱後、箕輪城を築城すると、
その勢力範囲に祭戸用水・本郷堰・長野堰などの用水路を造った。


  環濠屋敷=北新波の砦の復元図(高崎市教委)
★縄張り図は「群馬の古城塁祉の研究」:山崎一氏の縄張り図より

★井野川が違っている自作地図

◆平安時代〜鎌倉時代
10)赤坂の庄(高崎市赤坂町)
  赤坂の庄→三浦一族の和田氏が没落し、旧箕郷町和田山に在住した後、
  高崎の和田に支配。
  鎌倉上道(鎌倉→東京府中→埼玉嵐山→群馬藤岡→高崎山名→高崎倉賀野
   ・石原→高崎・・・高崎赤坂に至る。・・・)

11)青木の庄(高崎市旧箕郷町下芝・高崎市浜川町青木:箕郷カインズホーム周辺)
   +長野郷→長野氏支配。
  ※長野氏は現浜川運動公園=御風呂遺跡の隆業館(東山道沿い)に在住。

12)八幡の庄(高崎市榛名町・高崎市八幡町・高崎市豊岡町・安中市板鼻)
   源氏:新田義重が寺尾に在住し、新田開発を推進した。
   の里見一族が新田の庄(太田市)から入封。
   後、義重の子供らはさらに開発した。
13)山名の庄(高崎市寺尾町・高崎市山名町)
   源氏:新田義重の山名義範が新田の庄(太田市)から入封。  

◆室町時代〜戦国時代
●長野氏の新田開発(高崎箕郷・長野郷)
 ※関東管領上杉氏支配の長野氏の勢力拡大し、新田開発を進めた。
 ・1400年代・・長野氏は現浜川運動公園=御風呂遺跡の隆業館
          (東山道沿い)に在住。
 ・1500年中頃→北上し、浜川館(高崎北高西となりの野球グランドから西)
           乙業館(道場来迎寺北200m)
 ・1500年後半・・応仁の乱→永享の乱以降、長野氏は山間部に守りの砦・城を築城。
 鷹留城&箕輪城+家臣団の砦62?&厩橋城を築城。

 ★箕輪城勢力範囲の高崎北部地区=青木の庄
    (浜川町・沖町・大八木町・旧箕郷町・旧群馬町)の新田開発・・
★鷹留城勢力範囲の旧榛名町地区(現榛名町の箕郷よりの地域)の新田開発
 ★厩橋城勢力範囲の前橋城近辺
    (この時代の利根川は広瀬川の北部地区を平行して流れる)
   +小泉・大胡周辺の新田開発

14)わき水の利用・・・榛名山系の伏流水
   例1、高崎菊地町うなぎ神社の御神池・・・
     
   例2、高崎市行力町の玉清水・・・行力上屋敷・中屋敷・下屋敷
    
   例3、井出・冷水など地名の場所 

15)早瀬川=十二堰・・・長野康業(乙業の5代前・業政の8代前)の功績
 (箕郷西明屋→上芝水車→下芝→楽間→井野館前→北新波砦前→北爪館前→大八木)

  ★1500年代前半には、箕輪城主:長野業政が用水路建設?
 ■訪問記・・・多数訪問。
 @高崎市の箕郷ふれあい公園プールは1500年代は川だった。
  榛名白川が箕輪の河岸段丘沿い。
  早瀬川は「つり吉ケン太」付近に取水口があったと想像できる。
  根拠・・・箕郷のプール付近は中之島の地名が残存。
              (箕輪城語り部の会:高橋氏所蔵の文書)
  根拠・・・最初の長純寺がここにあった。
 A箕郷町上芝の水車〜〜〜

 B現在は中部用水と交差〜〜〜
 C祭戸用水の西コースと合流?・・・私見
 DEKエレベーターと西部病院の間を南下〜〜〜ここまでは、470年前の勝手な想像。
 E箕郷町下芝・・・・・※現青柳屋敷(元群バス団地南の領主)
              ・現第五保育園・万福寺(1421年創建)脇を通り〜〜〜
 F箕郷町下芝・・・・・※田口屋敷(元は県立博物館南に所領)〜〜〜
 G高崎市楽間町・・・※楽間の宝きょう印塔  
              ※井野館

 H高崎市菊地町・・・※抜鉾神社=ウナギ神社北〜〜〜
 I高崎市菊地町・・・※菊波団地北のハイキングロード〜〜〜〜
              ※長野小の校庭の中→南新波の堤に供給→・・・
   (高崎市菊地町付近・北新波の砦・高崎市浜川町大山医院裏の寺内砦)

 J高崎市北新波町・・※北新波砦・満勝寺砦の南を南東に流れる。

      ・北新波の砦の外堀としての早瀬川
 K高崎市南新波町・・※長野小学校の東を流れる。
 L高崎市浜川町・・・・※北爪館=現浜川郵便局南で現ローソン

 M高崎市浜川町・・・・※寺の内館=大山病院裏・・・

 N高崎市小鳥町・・・・※ラジエ工業南
 O高崎市町浜川町・・※浜川公園の南駐車場「隆業館」の200m南。東山道コース
 P井野川・唐沢川に100m下で合流・・・※長野氏時代の館が3つある。
(早瀬川&井野川の合流地点・・・中島川&唐沢川の合流後、井野川に合流。
  長野氏時代の大八木館&江戸時代の三国街道)

 Q洋服のアオキ・赤ちゃん本舗北西200mで、信濃新幹線&上越新幹線の分岐
 R→江戸時代の安藤対馬守重信が造らせた大日堰に繋がる。 

16)環濠屋敷・・高崎市浜川町付近の砦・館は方形で、周囲に堀が巡らせた。
   春〜夏は用水路であり、冬には魚を食料とするためであった。
溜まったのろ(=池の底の土)は、田畑に肥料として使った。
   例、隆業館・北新波砦・矢島砦・井野館・北爪館・寺の内遺跡・



   (「群馬の古城塁祉の研究」:山崎一氏の縄張り図より)

★次も「長野氏の水田開発=本郷堰・祭戸用水・長野堰など」の予定

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