箕輪初心●愛知蒲郡【上之郷城】=ミカン畑の中の古城

★渥美湾に沿って、吉良温泉→幡豆寺部城→蒲郡形原城
&無量寺に行った。さらに蒲郡海鮮市場→上之郷城=
神之郷城と回った。上之郷城は蒲郡市街地の北西にあ
る。ミカン畑の中に埋もれていた。遺構が大変よく残
っていた。でも、簡単には見つからない城だった。




■訪問日・・平成24年(2012)10月23日
【1】蒲郡海鮮市場・・・約5000円の買い物

あさりやちりめんじゃこ・魚・・・






【2】上之郷城
○蒲郡駅近く国道479号「元町」信号から北上した。
しない地図には神之郷と城跡しか載っていない。すぐに
地元の方に聞いた。1人、2人・・でも、分からない。
ナビでは、この辺りを指していた。こんもりした森の
ある辺りを想定した。でも、入り口がない。一回りした。
先に「小学校&西部保育園」に出た。車はここに停めるた。
保育園児のお母さん方がたくさん来始めた。聞いたら
「この先、みかん畑の間を通るため、道が極端に狭いです。
あの神社に停めるとよい。」と指さして、方向を示して
くださった。

「西部保育園」から来た道を戻り、鳥居の細い道を登った。
100m程行くと、西部公民館&若宮神社があった。
写真を撮り、右手に若宮神社を見ながら、神社脇に車を停め
た。上之郷城は東に落合川の流れる丘上に見えた。

@落合川の橋の縄張り図

 落合川は東の堀の代わりであった。
 主郭の四方向に堀をほって、帯曲輪状に二の郭を配している。
 南の虎口外には丸馬出しを造った。
 南に三の郭が置いた。

○橋を渡り、左手の道へ入った。


Aミカン畑の上の主郭の看板

 大部分が私有地のミカン畑となっている。

B三の郭南堀=熊ヶ池

 熊ヶ池・・・城の外堀の役目をしていた。 

C三の郭

○道なりに北へ進む。
「上ノ郷城」の案内がある。


D二の郭・・土塁、虎口

○右に入ると、左手正面の高台に「上ノ郷城」の石碑が
 見える。石碑の一段上が主郭だ。看板がでかい。

E石碑&土塁


F主郭の空堀、土塁



G主郭&二の郭の南部の巨大な空堀

 ※主郭との間の堀は消滅しららしい。
 「ミカン畑立入禁止」・・・私有地が多いので、
  自由な散策はできない。

H主郭の南東堀・・その下は落合川がある。

 


I主郭



 主郭は、東側と西側とで段差がある。

○東〜北東部

 城跡の北から東南へと落合川が流れていて、
 天然の外堀の役目をしていたとはっきり分かる。

○北〜北西部=搦め手


○南の展望


○案内板


○大看板&井戸

▼下城

J空堀の中の石垣


○石碑の下のみかん畑の間の道を西へ向かった


K西の土塁


 みかん畑の間に、突然、高さの1m程の土塁が50m
 程もあった。凄い。

L西の空堀&主郭の西側



▼みかん畑の間の道を南下し、戻った。


【3】若宮神社=赤日子神社

天智天皇甲戌674年 創立?・・年代は不明
★養蚕の祖神を祀る神社だった。百済系・新羅系の
渡来人が養蚕を日本にもたらした。



◆◆ 上之郷城の歴史 ◆◆
※築城年代不明
・平安時代・・「五男十郎と言う者が壇ノ浦の戦いで勝った
  褒美として当地をもらい、城を建てた説
・鎌倉時代・・熊野三山の別当:鵜殿の子孫が三重県鵜殿村
 から熊野三山の荘園地だった蒲郡の竹谷の荘官として入封
 した。
・戦国時代・・・築城説
 鵜殿氏の本城として上ノ郷城 築城した。
 鵜殿長将の頃には鵜殿氏の居城となっていたらしい。
 鵜殿氏は、現蒲郡市のほぼ全域と幸田町の一部を勢力下に
 治めていたらしい。
 熊野&三河は海上交通が活発で、鵜殿氏も海の道を通って
 三河へやってきたのであろう。
  
・長持の時代=天文年間(1532~1555)
 上ノ郷城を本拠とした鵜殿氏の一族は下ノ郷、柏原、不相な
  どの城に分家支流となった。
 不相鵜殿(不相城)と柏原鵜殿(柏原城)が分立。
 今川氏の力は三河全域に及んだ。
 不相城は水軍の拠点ではなかったかと思われる。
(★戦国の城・現地のHpより)
 
 @上之城:鵜殿氏(=今川義元の妹婿)
 A大塚中島城:岩瀬氏
 B竹谷・形原・五井の松平諸氏など
 上ノ郷の鵜殿氏は今川家の三河総代として
  協調を保ちながら中心勢力として君臨した。

◆◆ 箕輪初心●愛知【形原城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_10.html


・永禄3年(1560) 桶狭間の戦い
 織田能長 VS 今川義元
今川方の松平元康(=徳川家康)は大高城から出陣。
  大高城の鵜殿長照2000・松平元康1000で
  →丸根砦への攻撃開始。
  丸根砦の織田軍:佐久間盛重420+α=約500名は城外で
  白兵戦を展開。
  結果・・大将:佐久間盛重は討死。

◆◆ 箕輪初心★織田信長A「桶狭間の徳川家康」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

 今川義元が戦死。

◆◆ 箕輪初心★織田信長B「桶狭間の戦い」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html
  
  松平元康(=徳川家康)は三河で独立態勢を開始した
  諸将が服属し、勢力をのばした。
 


・永禄5年(1562) 松平元康(=徳川家康)の攻撃
松平好景・松平家忠・本多広孝・久松俊勝など 
  城の守りは堅固だった。

 松平元康はこれら蒲郡近辺の諸将を味方につけた。

 鵜殿氏の主君:今川義元の妹は上ノ郷城主:鵜殿長照
 であったため、上之郷鵜殿氏と大塚の岩瀬氏は今川方と
 して孤立した。
 →鵜殿氏は、鵜殿本家と敵対することとなった。

 上ノ郷城はなかなか落城しなかった。
松平元康(=徳川家康)は甲賀衆を用いて城内に
 火を放ち、その混乱の中から攻めた(伝)。
 上之郷城は落城した。
 
 鵜殿長照は自刃。
  長子:氏長、2男:氏次は捕虜。
  
 松平元康は今川家親戚を人質にした。
 今川家へ人質に出していた妻子(築山殿・信康・亀姫)
 と交換し、妻子を取り戻した。

  →落城後は、松平領となった上之郷城には久松俊勝
(★徳川家康生母:於大の再婚者)が入城。

徳川家康の異父:久松俊勝の嫡男:久松康元が松平姓を
 与えられた。

・大須賀康高による城の改修(伝)。

・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻撃。
  徳川家康が関東に移封。

 ・池田輝政が吉田城主に移封。
 →吉田城主:池田輝政領となった。
  上之郷城は廃城となった。

参考文献・・・・・
@「現地説明板」・戦国の城
AタクジローHp
B「愛知の山城:ベスト50を歩く」:サンライズ出版刊






★明日は、箕輪城関係かな?

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