信長・秀吉・家康に学ぶ人間の成熟 後編

さて、前編では信長・秀吉・家康の性格を表すとされる有名な句「鳴かぬなら ○○○○○ ホトトギス」を取り上げ、それぞれの欲求不満状況に対する対処法はそのまま人間の成熟段階に対応しているという話をしました。
一言で表すなら信長は攻撃、秀吉は行動、家康は忍耐といえるでしょう。

しかし、僕はまだその上に成熟段階があると思います。
信長・秀吉・家康の三者の欲求不満状況に対する対処法はどれもホトトギスを鳴かせること(=欲求不満の解消)を目的にしています。
したがって、三者が欲求不満を解消するには欲求を満たさなければならなりません。
それは欲求への執着であり、仏教では苦しみの元だとされます。

であれば、その上に来る成熟段階とはどのようなものか。
それは欲求が満たされようが満たされまいが喜びを感じられる段階です。

「鳴かぬなら それも良いかな ホトトギス」

句で表すならこんな感じじゃないでしょうか。
このような態度で生きている人は、どんな状況にあっても喜んでいることができます。

人生には様々な誘惑があります。
いい学校・会社に入りたい、たくさんお金が欲しい、意中の人と結ばれたい、みんなにチヤホヤされたい、同僚より出世したい、子供をエリートに育てたい…etc。
それがすべて叶えばいいのですが、いくら待っても行動しても、叶わぬことはあるものです。

欲求に縛られた人はその都度落胆し、悲しみにくれます。
しかし執着を断ち切れば、起きている出来事をありのまま受け入れ、喜びを感じることができます。
透明な心で見れば、鳴かないホトトギスにもちゃんと風流があるのです。

私事で恐縮ですが、高校生の頃は精神科医になりたいと思っていました。
しかし、センター試験の点数が振るわず、浪人する勇気もなく、妥協して公立大学の化学科に入りました。
ただ、そこでの勉強にはまったく興味が持てず、いつもつまらないと思いながら、しぶしぶ単位を取っている状態でした。

なぜそうなったかといえば、医者になりたいという欲望に執着していたからです。
だから、化学科の学生という身分を受け入れることができなかった。
今にして思えば、10代から20代の貴重な時を暗い気持ちで過ごしていたのは大変もったいなかったです。

だから、たとえ望みが叶わなかったとしても、現実を受け入れて喜びを見出していこう、というのが全体を通して伝えたかったことです。


※ここからは長めの補足です。
どうか誤解しないで欲しいのですが、人間として成熟していることが、即ち偉いとか価値があるとか立派だとか、そんなことはまったくありません

仏教でいう煩悩、キリスト教の原罪で象徴されるように人間は本来未熟なものです。
日々過ちを犯し続けているし、たぶんどこまで行っても自分勝手の檻から抜け出すことはできません。

それでも人が成熟を求めていくのは、苦しみが減るからです。
自己中心的に生きていると苦しいことがいっぱいあります。
望み通りにならない度に癇癪を起こし、善良な人が周りにいなくなります。
(おそらく信長は強いリーダーシップとカリスマ性ゆえに天下統一目前まで行くことができた。でも最後は自己中心性ゆえに光秀に謀反を起こされ散った)

だけど、成熟すると生きてるのが楽になります。
喜びや幸せを感じることも多くなります。
周りの人たちにとっても関わりやすい人物になってきます。

成熟してる人が尊い訳じゃないし、そこを目指すかどうかは各人の自由です。
世間や他人はそれを強いてくるかもしれませんが、そんなのは無視しましょう。
未熟でいたければ好きなだけそうすればいい。

でもそれは苦しみに満ちたイバラの道。
どこかに向けた悪意は必ず自分に返ってくることを頭の隅に入れておいた方がいいでしょう。

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