どこかに置き忘れてきたもの  中桐雅夫 『足と心』

「海はいいな」と少年はいった、
「そうかしら、わたしはこわいわ」と少女が答えた、
少年はほんとうに海が好きだったが、
少女のこわかったのはなにか別のものだった。

それからふたりの足はとげのうえを歩いてきた、
ふたりの心もとげのうえを歩いてきた、
やがて足も心も厚くなって、
とげもどんな鋭い針も通らないようになった。

さらさら砂をかけられて、
こそばゆかったやわらかな足裏は、
なぜいま軽石でこすられているのだろう。

とがった鉛筆のしんでつかれても、うすく血がにじんだやさしい心、
ああ、あの幼い心はどこでまよっているのだろう。

                        『会社の人事』より 「足と心」 中桐雅夫




夕食後、娘がなにやら熱心に読んでいる。
と、思うまもなく「お母さん、これ読んでみて。」と差し出されたいっぺんの詩、「足と心」

最後の段落まで読んで、涙で鼻がつんとしそうになった。
遠くに忘れていた何かを突然思い出したように。
すごくすごく大切なものだったにもかかわらず、いつの間にかどこかに置き忘れてきたあのものたち・・・

「詩っていいよね。」ぽつんと娘が言った。
その言葉に、またもや鼻が・・・・
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コメント (4)
◇ふたりの足はとげのうえを歩いてきた、
 ふたりの心もとげのうえを歩いてきた、
 やがて足も心も厚くなって、

厚くならないと、傷ついてしまうんですよね。
足も、こころも、「とげのうえを歩く」
すごい表現ですね。

厚くなるのがいいのか悪いのか、
(そんな意味の詩ではないと思うのですが、)
厚くならないと生きていけないの確かですね。
aostaさん、素敵な詩をありがとう。
lavie
ずーッとずーッと昔。
何時も、言葉に傷つきやすく。だからこそ、相手の心の傷まで見えてしまうような、
そんな時期があったこと、思い出しますね。
そんな時期があったからこそ、いま僕は、もともとの仕事を離れ、心にかかわる方に向いています。
かんがえてみると、この仕事を志したときの、最初の志望だったような。そうそう、僕のブログからリンク張らせていただきましたが、御都合悪ければ、連絡ください。
takasi
◇lavieさん

足も、こころも、「とげのうえを歩く」・・・・
なんて、痛いんでしょう。
でも、考えてみれば「生きる」とはまさにそういうことなんですよね。
そうして柔らかな心も足も、硬く『武装』していく事ことが「生きる」ことなのでしょうね・・・

「生きる事」の痛み。
身を守りつつ生きなければ生きられない哀しみ。
『とげ』という言葉が心に刺さります。

aosta
◇takasi さま
コメントありがとうございます。

言葉というものの危うさ、はかなさ、ちから、おもさ。
いつも私の心にあります。
たった一言でいい、心に届く言葉をと。

言葉が好きです。
aosta

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