日本会議の言う「伝統は」は本当に「伝統」なのか?本当に正当性の根拠か?

 
いうまでもなく、日本会議は自らの主張の正当性の根拠を「伝統」に置いて
いる。これは繰り返し、日本会議や、また自民党の言うことでもある。「伝統」
であるから正しいことである、それゆえ、それを現代に復活させることは伝統
に基づく「美しい日本」の復元である、だがそれらは全て明治という長い日本
の歴史から見れば、あまりに特異な時代に創設された「明治の制度」でしか
ないはずである。改憲も日本の「伝統」に復するためであるという。だが、しょ
せんは「明治の制度、考え方」をあたかも古来、何千年の日本の伝統と強弁
する倒錯の産物なのではないのか。

 もちろん、それ以前に「伝統だから正しい、現代に復元すべき」という考え自
体の妥当性が問われるべきだが、日本会議や自民党などの言う伝統は「「そ
もそも伝統ではない」、伝統というべき筋合いのものではない、ということが指
摘されてしかるべきであろう。

 神道自体も長い伝統を持つ。江戸時代という閉塞的な封建制度への怨嗟
の感情が、神道の長い歴史における神仏習合という歴史的発展を無視した
極度の復古主義をもたらし、記紀の絶対化、神道の原始的形態を限りなく理
想化し、その行き過ぎた復古主義がそのまま明治に入っても持続拡大し、近
代国家であるはずの明治日本の「国家原理」となり、大日本帝国憲法、さらに
当時の軍事国家敵色彩の反映の武装天皇制としての「軍人勅諭」、近代天皇
制による国民教化の手段としての「教育勅語」の発布となって極めてユニー
クな近代ファシズムの日本的形態が完成したと言うべきである。

 日本会議や自民党が言う「家族」も、明治における近代天皇制ファシズム
国家日本が、現実存在したかどうか疑われる、・・・「原始共産制」のような
古代の民族宗教として、およそ真の宗教の内面的真実を欠いた、あくまでも
想定的な原始宗教観念の国家原理化とい時代錯誤を推進するものであり、
封建時代においてさえ全く相手にされない考え方を近代に適用という暴挙で
あった。

 このあまりに特異な明治における制度、考え方の創設が「伝統」、「復古」と
いうことで無思考的に絶対的な正当化をされ、それが21世紀にもなって日本
会議という右翼団体の集合体において、またしても主張されていることは、ま
さに日本の歴史の危機というべきである。明治以降の日本が外征戦争を繰り
かえすうちに、武装天皇制の軍事国家的性格は極度に強くなり、国家神道に
ひれ伏す護国的仏教の国家主義化がうんだ「八紘一宇」の概念に伴う外征に
よる植民地化の正当化は十五年戦争から爆発的に拡大し、遂に国土の焦土
化、無条件降伏に至った歴史の醜態を招いたのである。

 このような明治時代に創設された制度、考え方がいかに日本の長い歴史、
神道の歴史で異端であるか、清州山王宮日吉神社の宮司、三輪隆弘死へ
「週刊金曜日」のインタビュウーは参考になる考えと思われる。

 ★明治の天皇崇拝は神道の長い歴史では特殊

 ー日本会議は「皇室と国民の強い絆」は「千古の昔から変わることはありま
せん」と述べています。だから改憲は「現行憲法は日本の伝統に合わないか
ら」と言ってその理由としています。日本会議と密接な神社本庁もそうですが、
・・・・・・。

 三輪:いや、それは「伝統」でも何でもありません。江戸時代はごく一部の知
識階級を除き、「京都に天皇という方がおられる」ということを民衆が知ってい
たかどうか、はなはだ疑問です。

 明治になって国民精神の統合と中央集権の確立のため天皇を親とし、国民
をその子供(赤子)とする、家族的国家を社会のエートスとしたのでしょう。本体
、神社とは地域の平和と繁栄を祈る場所です。それが明治になって中央集権
的な国家ができたため、その統一の手段として天皇という制度が利用された
のです。

 −なぜ神道にとって伝統でもないことが伝統とされたのでしょうか。

 三輪:そのポイントは明治という時代にあります。江戸時代からの神官たち
は明治になって社領を取り上げられ、一部を除き廃業してしまいました。神社
は土地も建物も国有化され、宗教から外されたのです。古くから神官だった人
はほとんど去り、新たに神官に任命された人たちは明治という時代が最初の
時代であり、しかも惇公務員的地位でした。そこで彼らにとって明治とは栄光
の時代となったのです。だからそこで古来の神道は断絶し、全く新しい国家主
義による神道として明治が出発点となったのです。薩摩藩と長州藩は最初、
尊王と攘夷を考えたが、実際に外国と戦ってとてもかなわないことを知った。そ
こで開国し、当面は外国の技術、文化を取り入れて、特に軍事技術を導入し、
国を強大にし、いつか攘夷を断行しようと考えていた、その結果が「大東亜戦
争」となったのです。

 、−でも明治において日本は強大になったのだから、日本会議は明治を「
栄光の時代」と呼んでいるじゃないですか。

 三輪:それはただ日清戦争、日露戦争で勝てただけのことで、「栄光」でも
なんでもありません。私に言わせれば明治政府は文化と宗教の破壊者です。
でも開国した以上はキリスト教を認めざるを得なかった。その防波堤として神
道を宗教から外し、国民の精神高揚の施設として、その仏教的色彩を取り除
きました、これは文化の破壊です。

、ー明治以降の廃仏毀釈ですね。

 三輪:明治政府の考えた対応策が「神道は宗教ではない、国家の儀式を
つかさどる機関である」というものです。いわゆる「国家の祭祀」論です。宗教
ではなく国家の儀礼だから国民に強制できる、同時にキリスト教に対抗する
「市民宗教」的な側面も持たせようとした。そこで神社は国営化され、建物も
敷地も国のものとなったのです。神社を管理するのは内務省、宗教を管理す
るのは文部省と決められました。「宗教でない」からという理由で布教自体が
神道には禁止されました。儀式だけやれというのです。神社は布教できない
から国家が代わって国民を教化してやる、「教育勅語」などです。しかし、この
ような極度に国家主義的に単一化された価値観は神道本来の多神教的性格
とは全く相反していいます。

 、−国家神道は神道の歴史では極めて特殊だということですか。

 三輪:それを今の神社本庁は理解できないのでしょう。戦後、占領軍の指令
で一旦は国家神道は解体しました。その後、神社は生き残るために宗教法人
神社本庁として再出発しましたが当時の神道界のリーダーが全て明治なっ
て初めて神官になったひとだったため、それまでの長い伝統の神道が真の
神道ということを見失って、明治政府による宗教でなく国家主義の道具として
の神道が「伝統」であると思い込んでいたのです。その感覚が戦後70年もたっ
てまだ続いているのです。
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