アマテラス一族の道案内をした猿田彦と出雲のオオクニヌシ一族との共通点とは!?





〜〜天孫降臨のつづき〜〜


アマテラスの孫、ノニニギノミコトが天降ろうとした時に、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原の中つ国を照らす神がいました。





天から下る道の辻とは、高天原という神の世界と地上世界の真ん中であると解釈することができ、日本書紀では”天の八衢(やちまた)”と書かれているので、天を霊界ととるならば、霊界の八街と解釈することができます。

八衢とは、道がたくさんに(八)分かれている処ですから、霊界の良い世界、悪の世界、そして地上界のすべてが交わる一点と解釈することもできるかもしれません。



そして、天から下る道の辻に立っている神が誰なのか、アマテラスとタカミムスビは分からなかったので、何という神で、何のために立っているのかを知るために、アメノウズメにこう命じました。





「あなたはか弱い女にの様に見えるが、他の神と向き合っでも、面と向かって立ち振る舞い、気後れしない神です。そこで、まずあなた一人で行ってみてその神に、”アマテラスの御子(みこ)が天降りする道に、このようにして立っているあなたは誰か”と尋ねてきなさい。」

そのような訳で、アメノウズメがその通りに尋ねてみると、その尋ねられた神はこう言いました。





「わたしは国つ神で、名は猿田毘古神(サルタビコ)である。このようにしている訳は、天つ神の御子が天降ると聞いたので、道案内に仕え奉ろうとしてお迎えに参ったのでございます。」

それを聞いたアマテラスは、言葉の神アメノコヤネ、占いの神フトダマ、舞の神アメノウズメ、八咫鏡(やたのかがみ)を造った鋳造の神イシコリドメ、八尺の勾玉を造る神タマノオヤ、併せて五柱の部族の長をニニギノミコトに従えて、天降りすることにしました。



 

またその時、八尺の勾玉、鏡、草薙の剣の”三種の神器”に、常世のオモヒカネ(知恵の神)、手力男神(タヂカラヲ:力の神)、天石門別神(アメノイハトワケ:門を守る神)を添わせて、天降りすることにしました。

そして、アマテラスはこの神々にこう言いました。

「この鏡はもっぱら我が御霊として、私を拝むように奉りなさい。次に、オモヒカネは私の祭りに関することを取り扱って、政治を司りなさい。」

この二柱の神(アマテラスとオモヒカネ)は、五十鈴宮に祭りされている神です。



次に、登由気神(トユケ:豊受大神)は、伊勢神宮の外宮に祭られている神です。

次に、アメノイハトワケ、またの名は櫛石窓神(クシイハマト)といい、またの名は豊石窓神(トヨイハマト)といい、この神は宮廷の門も守る神です。

次に、手力男神(タヂカラヲ:力の神)は、三重県多気郡の佐那神社の主祭神として鎮座しています。

また、天児屋根命(アメノコヤネ:言葉の神)は、中臣氏の祖で、春日大社のご祭神であり、
天太玉命(フトダマ:占いや神事の神)は、忌部氏の祖、
天宇受賣命(アメノウズメ:舞の神)は、巫女の起源であり、
伊斯許理度売命(イシコリドメ:鋳造の神)は、作鏡連(かがみつくりのむらじ)の祖、
玉祖命(タマノオヤ)は、玉祖部(たまつくりべ)の祖である。





さて、天孫ニニギノミコトが降臨する準備が整ったので、天つ神々に命じられたノニニギノミコトは、高天原の岩座を離れ、天に八重にたなびく雲を押し分け、堂々と道をかき分けかき分けていきました。、天の浮き橋に立ち、そこから筑紫の日向の高千穂の峰に天降りされました。

その時、天忍日命(アメノオシヒ)と天津久米命(アマツクメ)の二柱の神は、立派な靫(ゆぎ)を背負い、頭椎(くぶつつ)の太刀を腰に着け、櫨弓(はじゆみ)を持ち、真鹿児矢(まかごや)を持って、ノニニギノミコトの先に立ってお仕えしました。

そのアメノオシヒは大伴連等の祖、アマツクメは久米直等の祖である。



そして、ノニニギミコトは高天原と地上世界の途中にある天の浮き橋に立ち、そこから筑紫の日向の高千穂の峰に天降りされました。





「ここは朝鮮に向かい、笠沙の御崎にまっすぐに道が通り、朝日が差し、夕日が照るたいへんよい場所である」と言い、地下の岩盤に太い柱を立て、千木を高々とそびえ立たせた宮殿をお作りになり、そこに住まわれました。

  

そして、ノニニギノミコトはアメノウズメに、「道案内に奉仕したサルタビコは、正体を明らかにしたあなたが送りなさい。そして、その神の名はあなたがもらい受け、今後も奉仕しなさい」と言いました。

こうして、アメノウズメはサルタビコの男神の名をもらい受け、猿女君(さるめのきみ)と呼ぶことになったのです。







●なぜサルタヒコ一族は、アマテラス一族の降臨の際に、アマテラス一族に道案内をするなど、手厚い助けをしたのはなぜでしょうか??


サルタヒコ一族も、出雲族であるオオクニヌシ一族や丹波国の籠神社の始祖と同じく、アマテラス一族より先に日本に渡ってきていた、古代ユダヤ12部族のうちの10部族の人々ではないでしょうか。





その昔、古代ユダヤ12部族という民族があり、彼らは統一した古代イスラエル国家を形成していましたが、紀元前9世紀頃に、北部のイスラエル国家10部族と、南部のユダ王国2部族とに分裂しました。

そして、北部のイスラエル国家はその10部族の中から一人の人を王に立て、南部のユダ王国の方はダビデ王の血統を引く子孫を代々王として立てていました。

しかしながら、ペルシャにアッシリヤ帝国が勃興すると、まず紀元前7世紀に北部のイスラエル王国が攻撃されて、その10部族が捕囚されていきました。

続く、紀元前5世紀には、南部のユダ王国も攻撃されて、その2部族が捕囚されていきました。

このアッシリヤに捕囚されていったとされている10部族と2部族のうちの一部が、それぞれ時期を異にして、日本に渡ってきているということは、日本にある色々な証拠から考えても、予測されうることであると思います。



例えば、オオクニヌシ一族の子孫、タケミナカタが諏訪に逃れてきたのが始まりとされている諏訪大社は、そのご神事が旧約聖書に記されている古代ユダヤのお祭りと同じであることから、出雲族も諏訪一族を同じく、日本に渡ってきた古代ユダヤ10部族の人々であると考えることができます。


そして、サルタヒコは天狗のように描かれているのですが、この天狗が身に着けている物がユダヤ教のお祭りの際に身に着ける物と同様であることから、サルタヒコ一族も先に日本に渡ってきていた古代ユダヤ10部族の人々であると考えることもできます。


一方、後から日本に渡ってきたアマテラス一族は2部族の方であり、代々ダビデ王の血統を引く一族であると思うのですが、そのことをを何らかの方法によってオオクニヌシ一族もサルタヒコ一族も認識したので、同じ先祖を持つ者同士で相争うのではなく、むしろ協力して国造りをすることを選んだのかもしれません。


争うだけではいつの時代においても、国土が疲弊し、人民が疲れ切り、国全体の秩序も乱れるので、協力していくことは大切なんだなと思うのでした。






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