幅1mの県境が7.5kmも続く・・・飯豊山
新潟・山形・福島の三県の県境を持つ飯豊山ですが、その稜線は複雑に入り込んでいます。この稜線に立てば東は山形県、西は新潟県、明らかに山形と新潟二県にしか接していないのに、なぜか福島県境も入り込んでいます。
かって、地図でその事を発見し、「どうしてこんな複雑な県境設定になったのか??」と、長いこと疑問に思っていました。
今回、実業之日本社発行/日本全国「県境」の謎(著者・浅井建爾)によって、その謎の歴史はようやく解けました。
福島、新潟、山形の三県が接する地点に、摩訶不思議な県境が走っている。
福島県の西北端にそびえる三国岳から、新潟と山形両県の境目を割り裂き、飯豊山頂を目指して、並行した二本の県境がニョキニョキと伸びているのである。その幅はおよそ三尺というから、1メートルにも満たない。と、いうことは、ひと跨ぎで新潟県から福島県を通り越して、山形県に着地できるということである。
飯豊山の山頂付近からやや幅は広くなるものの、福島県の細々とした県域はさらに御西岳まで続く。三国岳から御西岳までの距離は、なんと7.5キロメートルあまりもあるのだ。いったいこの奇妙な県境は何を意味しているのだろうか。(本文より)
(画像はクリックで大きくなります)
明治時代に、福島県の県庁所在地である福島市があまりにも北東部に偏りすぎているという理由から、県庁移転問題に発展した。この問題の解決は、福島県の西端の一部(東蒲原郡)を新潟県に移管する事で解決した。
県庁所在地が右に偏りすぎているのを修正するために、県庁所在地を替えるのではなく、県という入れ物の形を変える事によって、やや中心のほうへ位置を変えたという訳である。(事はそんなに単純ではなかっただろうと思われるものの、発想の転換としては面白い!)
たしかに、津川町(現在の阿賀町)はかっては福島県だったという話はよく聞く話です。
こうして福島県庁の移転問題は解決したものの、”飯豊山神社は福島県一ノ木村(現・山都町)にあるので、飯豊山山頂の奥の院も福島県のものである”と主張する福島県側と、飯豊山は古来より新潟県の山であり飯豊山神社も寒川村(現・阿賀町)の土地に鎮座していると主張する新潟県側とで県境紛争へと発展したという。
この争いの打開のために、両県は内務大臣の裁定を仰ぐ事となる。その後、綿密な調査の結果福島県側の主張が通り、1907年(明治40年)に今の形”飯豊山神社とその境内、登山道は福島県一ノ木村(現・喜多方市山都町)に帰属する”になった。紛争勃発から20年後のことだ。
その為に、新潟・福島・山形の三県の県境が接する三国岳から種蒔山〜飯豊山〜御西岳と、まるで蛇が這いずったような奇妙な県境がひかれることになったということです。
●この本のほかの内容(抜粋)
かって人口日本一は石川県だった!。
北海道にもあった青森県津軽郡。
秋田・山形の鳥海山山頂争奪戦!。
越前吉崎と加賀吉崎の県境騒動。
旅館の中を走る熊本・大分の県境。
県を飛び越えた飛び地があちこちに。
この本には、上記の他にも県境にまつわる出来事が幾つも書かれており、なるほど!、と感心したり納得したりで興味はつきません。
子供の頃から、自分は地図を見るのが大好きでした。こういった本に出会うと、夜の更けるのも忘れて読んでしまうのです。
かって、地図でその事を発見し、「どうしてこんな複雑な県境設定になったのか??」と、長いこと疑問に思っていました。
今回、実業之日本社発行/日本全国「県境」の謎(著者・浅井建爾)によって、その謎の歴史はようやく解けました。
福島、新潟、山形の三県が接する地点に、摩訶不思議な県境が走っている。
福島県の西北端にそびえる三国岳から、新潟と山形両県の境目を割り裂き、飯豊山頂を目指して、並行した二本の県境がニョキニョキと伸びているのである。その幅はおよそ三尺というから、1メートルにも満たない。と、いうことは、ひと跨ぎで新潟県から福島県を通り越して、山形県に着地できるということである。
飯豊山の山頂付近からやや幅は広くなるものの、福島県の細々とした県域はさらに御西岳まで続く。三国岳から御西岳までの距離は、なんと7.5キロメートルあまりもあるのだ。いったいこの奇妙な県境は何を意味しているのだろうか。(本文より)
(画像はクリックで大きくなります)
明治時代に、福島県の県庁所在地である福島市があまりにも北東部に偏りすぎているという理由から、県庁移転問題に発展した。この問題の解決は、福島県の西端の一部(東蒲原郡)を新潟県に移管する事で解決した。
県庁所在地が右に偏りすぎているのを修正するために、県庁所在地を替えるのではなく、県という入れ物の形を変える事によって、やや中心のほうへ位置を変えたという訳である。(事はそんなに単純ではなかっただろうと思われるものの、発想の転換としては面白い!)
たしかに、津川町(現在の阿賀町)はかっては福島県だったという話はよく聞く話です。
こうして福島県庁の移転問題は解決したものの、”飯豊山神社は福島県一ノ木村(現・山都町)にあるので、飯豊山山頂の奥の院も福島県のものである”と主張する福島県側と、飯豊山は古来より新潟県の山であり飯豊山神社も寒川村(現・阿賀町)の土地に鎮座していると主張する新潟県側とで県境紛争へと発展したという。
この争いの打開のために、両県は内務大臣の裁定を仰ぐ事となる。その後、綿密な調査の結果福島県側の主張が通り、1907年(明治40年)に今の形”飯豊山神社とその境内、登山道は福島県一ノ木村(現・喜多方市山都町)に帰属する”になった。紛争勃発から20年後のことだ。
その為に、新潟・福島・山形の三県の県境が接する三国岳から種蒔山〜飯豊山〜御西岳と、まるで蛇が這いずったような奇妙な県境がひかれることになったということです。
●この本のほかの内容(抜粋)
かって人口日本一は石川県だった!。
北海道にもあった青森県津軽郡。
秋田・山形の鳥海山山頂争奪戦!。
越前吉崎と加賀吉崎の県境騒動。
旅館の中を走る熊本・大分の県境。
県を飛び越えた飛び地があちこちに。
この本には、上記の他にも県境にまつわる出来事が幾つも書かれており、なるほど!、と感心したり納得したりで興味はつきません。
子供の頃から、自分は地図を見るのが大好きでした。こういった本に出会うと、夜の更けるのも忘れて読んでしまうのです。


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