ダイナマイト・キッド

亡くなりました。60歳でした。

タイガーマスクとの試合は日本のプロレスはもちろん、世界のプロレス史に残る金字塔とも言える芸術でした。あのような試合を当たり前のように見ていたのは本当に幸運でした。





1981年4月23日の蔵前国技館の試合はもちろん覚えています。メーンイベントの猪木対ハンセンも。この時期の新日本プロレスの試合はビデオがなくてもよく覚えています。


おそらくいちばんプロレスが好きだったころだと思います。前の年の5月の焼津スケートセンターで初めてプロレスを観戦しました。第3回MSGシリーズ。猪木対長州、ハンセン対チャボ・ゲレロ、アンドレ・ザ・ジャイアント対剛竜馬。メーンイベントは坂口、小林、藤波対ダスティ・ローデス、ハルク・ホーガン、ティト・サンタナの6人タッグでした。


ダイナマイト・キッドを記憶したのもその年でした。新日本に初参戦した新春黄金シリーズ。ハンセンが猪木に勝ってNWF王座を獲得した歴史的なシリーズでした。でも納得するほどハンセンは強かったのです。





キッドはNWAジュニアヘビー級王者のスティーブ・カーンの後塵を拝していた印象でしたが、藤波のWWFジュニアへの挑戦権を賭けたスキッピー・ヤングとの一戦(札幌でしたか?確かその日に藤波が勝ってNWAを取ったような)。猪木対ハンセン、藤波対カーンのリマッチがあった東京体育館の翌週に放送された愛知県体育館の藤波とのWWF戦もよく覚えています。キッドはジャパニーズレッグロールで負けました。


早く亡くなったのは後の筋肉増強剤の後遺症が大きかったかもしれませんが、頭をぶつけるダイビング・ヘッド・バットの影響もあったはずです。でもそんなことを顧みずに早世したところは、なぜか忌野清志郎にだぶります。二人とも朴訥とした感じですし。


世の中、もっともらしい話がまかり通りますが、私はプロレスから多くを学びました。今年も多くのレスラーが亡くなりましたが、偉そうなことを言っている人間よりこの人たちが好きです。


ビッグ・バン・ベイダー。1987年12月の悪夢。そして89年の東京ドームをはじめ、新日本プロレス復活期のエース。1988年7月の有明での猪木戦は猪木晩年の素晴らしい試合でした。





マサ斎藤。ベイダーうを連れてきた時のこともよく覚えています。狼軍団、維新軍、イノキ闘魂ライブ。こんな名シーンは知りませんでした。「半端じゃねえぞ」。この時の天龍もお客さんも凄まじい。






ブルーノ・サンマルチノ。人間発電所はプロレス史に残るニックネームでしょう。1980年10月の蔵前国技館のメーンイベントで見ました。事実上の引退試合でした。





ディック・スレーター。ファンクス全盛時代の全日本プロレス、1979年のチャンピオン・カーニバルでのブッチャーとの抗争がいちばん印象に残っています。





ドン・レオ・ジョナサン。人間台風も発電所と並ぶニックネーム。決め技は人類史上に残るハイジャックバックブリーカーです。





ニコリ・ボルコフ。新日本プロレス成長期の脇を固めた外人という印象。クリス・マルコフ、イワン・コロフとロシアの人はこういう感じの名前が多いのだと世界を気づかせてくれました。確か、私が大好きだったダスティ・ローデスが新日本に初参加した1979年の闘魂シリーズに一緒にいたような気がします。





人間というものを教えてくれた素晴らしいレスラーたちに感謝します。

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