『対象の欠如(自分にないもの)』を他者が埋めてくれる幻想と愛情の欲求1:ラカンの精神分析

精神分析では、クライエントが精神分析家に向ける特別な愛情・好意や憎悪・敵対心を『転移(transference)』と呼び、反対に精神分析家がクライエントの転移に影響されて向ける愛情(親近感)や憎悪(抵抗感)を『逆転移(counter-transference)』と呼んでいる。

“差異”と“幻想”によって支えられる欲望とシニフィアン(言語):ラカンの理論

愛情(性的関心)や好意(愛着)のようなポジティブな感情を『陽性感情転移』、憎悪(嫌悪)や敵対心(反発心)のようなネガティブな感情を『陰性感情転移』といったりもするが、転移の防衛機制の本質は『本来その強い感情を向けるべき対象ではない、別の対象に向け変えていること』である。

転移とは『過去に親に向けていた強烈な感情(愛情・好意・憎悪・嫌悪など)』を、児童機・思春期・青年期以降になってから『現在の重要な人間関係(現在の自分にとって大切な他者)』に向け変えることである。

転移は『本来の愛情・憎悪の対象』から『別の誰か』にその強い感情を投射するというタイプの防衛機制であるが、親への愛情(憎悪)を誰かに『転移』(投射)した後には、その愛情(憎悪)が新たな相手に向けられるべきものとして『翻訳』されることもある。別の他者(現在の自分にとって大切な他者)へと転移されて翻訳までされた愛情や憎悪は、その元々の起源である『親に対する愛情(憎悪)』とは完全に切り離された『新たな感情』として体験されることになるだろう。

ジャック・ラカンは『愛の起源』には必ずこの『転移』があると考え、愛がある時には必ず『本来の愛情を向けるべき対象』とは異なる『別の対象』があり、『間違った同一化(過去の親に向けられていた愛情の転移)』があると考えた。

愛情は神が持つような“アガペー(無償の博愛)”でない限りは、『他者への要求(need)』を併せ持つものであるが、この他者への要求というのはラカンの理論の中では『他者から与えてもらえないもの(あるいは原理的に存在し得ないもの)』である。

J.ラカンは人間の愛情関係の原型(プロトタイプ)として、マーガレット・マーラーや対象関係論の精神分析家と同じように『発達早期の母子関係(幻想的な母子一体感を感じられる母子関係)』を想定していた。そして、発達早期の母子関係を経験している無力な乳幼児は、『力のある母親』と『力のない自分(乳幼児)』との一体感のある関係性を維持してくれている特別な対象の存在を『虚構の幻想』の中で信じているのだという。

乳児期以降に人間が経験したり欲望したりすることになるすべての愛情関係は、発達早期の母子関係の実体験や幻想(理想化されたイメージ)のバリエーションであるというのは、精神分析の基本的な考え方である。J.ラカンはこの前提を踏まえて、精神分析の“対象(object)”を『人間に欠如しているもの・ある対象が欠如した状態』として捉え直した。

ジャック・ラカンの精神分析における対象は、メラニー・クラインらの対象関係論と同じくペンや車だとかカバンだとかの『物理的対象』ではなく、主体の欲望にとっての特別な意味や重要性を持つ『内的対象』である。主体(私)がその欲望を向ける対象の数は無数にあるが、それらの主体にとって重要な意味を持つ対象をいくら手に入れても集めても、『完全な不満のない主体』というものは出来上がらない。

なぜなら、主体あるいは主体性とは『対象の欠如・不在の対象』から作り上げられているものであって、自分にとって特別な意味や重要性を持つその対象が不在であり欠けているからこそ、『対象への欲望』を掻き立てられて、自分にとって意味があると信じることができる生存(人生)を続けていくことが出来るからである。

誰もが知っているように、人間の欲望には終わりがない。終わりがない欲望は常に『自分には大事な何かが欠けているという感覚(発達早期の母子関係を支えてくれていたはずの特別な対象が不在であるという感覚)』から生み出されている。これは分かりやすい主体の認知としては、『自分に欠けている大切なその不在の対象を、他の誰かがきっと持っているはず(他の誰かなら自分に与えてくれるはず)』という確信によって支えられている。






■書籍紹介

他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)
文藝春秋
2011-09-02
内田 樹


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