厄除けの宮 駒林神社

毎年一月十八日から二十日までは厄除けの大祭があり、全国の八幡神社
では厄除けのお参りされる人たちで賑わっていると思います。

私も例年なら、日本最古の厄神さんといわれている多井畑の厄神さんに
お参りすることが多いのですが、今日は長田の駒林神社へお参りして
来ました。

長田の港のすぐ近くに鳥居があり、50メートルほどの参道の先に神社
拝殿があります。


鳥居の脇には神戸の漁師町の名物『いかなごのくぎ煮』発祥の地という
石碑がありました。


駒林神社

  ご祭神  応神天皇
        猿田彦大神
        奇稲田姫命

  ご由緒  当社は務古の水門の一部にあたり、治承2年(1178)には
      平清盛が上陸したとの記録もあり、古代の要衝であった。

      そのため、来朝する外国人を検問する玄蕃寮の出先機関が
      あり、当社はその役所内に奉斎されたことに始まると伝えられる。

      延元元年(1336)足利尊氏が西国敗走の折に当社に奉詣して

      「今むかふ方は明石の浦ながら まだ晴れやらぬ我が思ひかな」

      と、詠んで社前の浜より乗船したという。

平清盛遥拝場


この駒林神社は、普段は参拝される方もまばらなところですが、今日は
屋台も幾つか出ており、人出も多く賑やかな日になっていました。

長田・須磨は源平の史跡がたくさん残っていますが、この駒林神社の
近くには、薩摩守平忠度の腕塚や胴塚があります。

そしてこの駒林神社沖の海は1184年(寿永三年)一の谷合戦の際、
大輪田から駒ヶ林の沖合いには、安徳天皇の御座船と平家の総大将
である平宗盛が指揮する軍船が停泊していたところです。

この駒が林の地名の由来については

 神功皇后が朝鮮に出兵したとき、高麗(こま)からやってきた多くの
 帆船の帆柱が林のように見えた、
 
 あるいは「高麗返し」が転訛したなどと、いくつかの説があります。

 この駒ヶ林の歴史は古く、
 奈良から平安時代にかけて遣唐使の出入りが大輪田泊にあった頃、
 その船繋所であったといわれています。
 
 また平清盛が治承三(1179)年安芸の宮島に参詣するおりに、
 和田岬をまわって「小馬林」に着いたという記述も残されており、
 駒林神社の平清盛遥拝場は、この地で宮島の厳島神社を
 遥拝したところを示しているそうです。

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